「ったく……どうするの、ルーク」

 溜息混じりに問う私は、生きる希望も何もかもを失ったように無気力だったね、間違いなく。
 去り行く馬車に別れを告げる私は生憎ただのちょっと金持ちな一般人だ、王子様など迎えにきてくれるはずもない。大体我が国の王子様に相当する御曹司は自分と一緒に突っ立っているのだ、最低で最悪だ。辻馬車から降りて呆然と立ち尽くす自分に悲しさすら覚えたよ、まったく。通り抜ける風の残酷さと言ったら筆舌に尽くし難いね。

 「俺に言うなよ!マルクトだなんて聞いてねえ!」
 「とにかく、これからのことを考えましょう」

 なんでやねんとばかりにルークが返すが気にした風もなくティアが落ち着いて言う。いや、ルークは落ち着きなさすぎだと思うが、君は落ち着きすぎだろう。こうなったのは君の所為でもあるのだが。まあ、気弱な私は言えやしないねそんなこと。
 それにしてもまさか、本当に長旅になるだなんて。マルクトからキムラスカのバチカルへ、だ。ありえない、一体何の恨みがあって私までが飛ばされなくてはならなかったのだろう。理不尽だね。不条理だ。どうかしてるよ、まったく。そんなこと、誰が予想したであろうか。

 「……有り得ないっつーの」

 ルークじゃなくてもそう言うね。







 「農村だ」
 「農村だな」
 「農村ね」

 ぽつりぽつりと各々が言う。のどかな風景である。おだやかな空気が流れている。今の私たちに当てはまりようもない和やかな感じに呆けるしかない。
 かくして、エンゲーブに着いたわけであるが、どうしたものだろうね。キムラスカから反対側に、遠ざかる形で完璧にマルクト領に入ってしまった訳だ。どうやってキムラスカに戻るか。カイツールを通って国境を越えるにしても、旅券が必要となる。どうやって入手しろというのか。大体、マルクトで下手に動いてしまったら、国際問題に発展しかねない。仮にも私と同行しているのはファブレ家の倅なのだ。

 「とりあえず、宿屋に行きましょう」

 ティアが提案する。どうやら、ティアの頭の中では冷静に今後についての案が挙がっているらしい。頼りになることで。まあ何をするにも計画第一というのはもっともな事である。従うべきだろう。
 ―――もちろん、信頼できるかどうかはおいておいて、だが。
 ファブレ家の子息をこんなところまで連れてきて、彼女は自分がどうなるか解っているのだろうか。ルークが、私が、屋敷に軟禁されていた意味が無くなるかもしれないのだから、痛い仕打ちを覚悟するのは当然だろうし、命の保障もないだろうことは想像するに易い。巻き込まれた私が心配することじゃないんだがね。何せ私だって半誘拐状態だ。

 「あーあ、何でこんな冷血女の言う事なんか聞かなきゃ―……」
 「それじゃあ行こうか。ルーク、文句いわない」

 きっとこれからもうだうだと文句を言うだろう彼の言葉を遮って、歩みを進める。ルークは一つ舌打ちして、決まりが悪そうに自分の横に並んで歩く。彼の気分を害してしまっては私も胸が悪いが、この状況ではこうしても仕方がない。だらだらしていてもこれから先の行動が決まるわけじゃない。
 ルークは根が優しく、彼に対して理解を持ってくれる人には、行為を返してくれる人だ。ルークは私に懐いてくれているし、きっと私がしっかりしていれば、不平の出そうな旅の上でも彼とは上手くやって行ける。ルークだって態々喧嘩をしようとは思わないだろう。まあそうそう彼を不機嫌にはしたくないが、今は致し方あるまい。

 「あら、に対しては随分素直なのね」
 「……うっせえな。冷血女は黙っとけ!」

 ティアが棘を含んだ言い方をするのに、ルークが噛み付く。ティアがうんざりするのが果てしなく解ってしまってむなしい。仲良くしてくれよ。最初から前途多難だ。
 どうでもいい他人に対してはこうなるルークだが、そういえばヴァン謡将に対しても素直だ。人見知り、というか、親身になってくれる人物に対して、彼は多大な信頼を寄せ、相手を認めるようになる。私に関して彼は話を聞いてくれるのだから、少しは信頼してくれているのだと、自惚れてもいいだろうか。

 「ほら、行くよ2人とも」

 状況にそぐわず自惚れににやけるのを堪えながら、ルークとティアに声を掛ける。兎に角今は、余計なことを考えている場合ではないのである。







 豊かな自然と、農作物、家畜、人々の笑顔と働きぶり。敵国と言われているマルクトと、キムラスカは良い関係ではなく、緊張状態だと聞いていたが、結局のところ、この村にいる民のように喉かに暮らしている町村が多いのではないのだろうかと思う。

 「お!この林檎美味そうだな」

 食材屋の前を通ると、ルークが赤く美味しそうな林檎に目をつける。此処エンゲーブは世界に一つと言える農村だし、なかなか良い食品が揃っているように感じる。どれもよく育って、陽を浴びて美味しそうに輝いている。と、ルークがおもむろに、
 がぶり。
 手にとっただけで、まさかとは思ったが、本当にそうなるとは。今まさに、貴族の御曹司、ルーク・フォン・ファブレがエンゲーブの『美味そうな林檎』を美味しそうに食べている光景が目に飛び込んできた。

 「「ちょっとルーク!」」

 ティアと自らの声が重なり、周りの商売人も驚いたようにルークに視線を向けた。流石ルークというかなんというか、ここまでお坊ちゃんだとは思わなかったというか、屋敷で一緒に過ごしてきた自分がまるで何も教えてこなかったようでなんだか複雑というか。
 人々の明るい笑顔と声が、一瞬にして消えうせ、凍った瞬間。

 「え、ああ?なんだよ!」
 「……ルーク、それ、売り物」
 「お金を払って、初めて手に入る物なの。勝手な事をしては駄目!」

 戸惑っているルークに、ぽつりと私が漏らすと、ティアの怒声が降り注ぐ。軟禁されていて、金を払うのも親で、七年前に何もかもを忘れてしまっていたとしても、これは無いのではないか、と思う。教えてこなかった私も無いのではないかと思うけどな。さて、この凍り付いた空気をどうしてくれようかね。

 「知らなかったんだから仕方ないだろ!……で、どうすりゃ良いんだ?」
 「あのねえ……もう良いよ、私が払う」

 はあ、と大きな溜息を一つつくと、ティアも溜まらず溜息を漏らした。この先が思いやられる。この度を越した物知らずは思いやられるどころじゃないなんて、気付きたくなかったよ、まったく。







 「おい!食料庫から食料が無くなってるぞ!」
 「本当だ……!一体誰の仕業だ!!」
 「漆黒の翼か?!」

 リンゴ事件ののち、道中買い物の仕方をルークに教えながら宿屋に向かっていると、その前で何やらいざこざが起きているようで、人々のどよめきが耳に入って来たので私たちは足を止めた。どうやら食料庫の中身が何者かに盗まれているということらしい。
 私は苦い顔をするほかなかった。あまり厄介に首を突っ込むと、ただでさえマルクトまで来ているというのに、ますます帰るのが遅れてしまう。先ほどのリンゴ事件のこともあるし、私たちは疑われやすい。もしこの厄介ごとの犯人だと言われてしまったりしたら、牢屋送りになってしまう事も視野に入れておかなきゃならなくなる。

 「なんだなんだ?どうしたんだよ」

 そんなことを考えているうちに、ルークが村民に声を掛ける。ま、待て待てそれはやめておけって!なんて心の中で言ってもルークに伝わるはずもない。不用意に近付いたら駄目だと思っていたところにそれが起こって私はぎょっとした。声を掛けられた男は「食料が盗まれたんだ」と答え、まさに時既に遅し、と言ったところだ。

 「ルーク!勝手な行動は慎めってさっき言ったばっかじゃん!」
 「げっ!……そうだった」
 「……もう」

 小声でルークに注意すると、ルークは眉を歪ませて自分の失態に気付いた。気付くのが遅すぎる、なんて言っている場合じゃない。ティアはもう溜息をつくしかないという顔をしている。うちの子がどうも済みません、とかなんとか謝って済むような問題でもなかった。宿屋前のざわめきはさらに大きくなるばかりで、

 「もしかしてお前らが漆黒の翼か?!」

 挙句ひとりの村民がこんなことを言った。こんな事件の真っ只中なら、彼らにしてみれば見知らぬ人間の登場など当然すべてが不審に見えるに違いない。あらぬ事実を突き付けられて、私はもう抵抗の2文字を自分の辞書から消去しかけていた。面倒くさいなんて言ったら絶対ティアに怒られるだろうね。
 しかしまあ、リンゴ事件に引き続き、また人々の注目を浴びるとなると、もうこれからに備えて慣れていくしかないだろうと私はつくづく思うよ。
 ああだこうだと村人対ルークの言い争いを聞きつつ、私とティアは今日何度目かわからない溜息をつく。溜息をつくから幸せが逃げるんじゃない、ルークが騒ぎを起こすから厄介が増えるんだ。

 「こいつらを連れて行け!」

 泥棒の嫌疑をかけられるなんて生まれてこの方考えたこともなかったのにな。拘束されて連行される貴族って一体なんなんだ。もうこれ以上の溜息はつくまい。
 そう思っていたのに、さらに大きな溜息をつく羽目になるとは、予想しなかったよ、私も。







 「ローズさん!」
 「こいつらが食料を盗っ―……」
 「だから違うつってんだよ!」
 「静かにしてろ!」
 「だーれーが、盗ったって?!ああ?!」

 ばたん、と大きくドアを開け、その家に駆け込む人々、引き連れられている私達。その姿はまさしく三者三様であり、ひとりは眉間に皺を寄せてがなり、ひとりは不本意そうな顔だが落ち着いており、ひとりは半ば諦めかけているような顔である。もちろん、最後が私だって今更説明することもないよな。

 「喧しい!静かにしな!」

 私たちは在らぬ罪を吹っかけられて村長宅に上がらされていた。あちらこちらから上がる大声にローズと呼ばれた女性はぴくりと顔を引き攣らせ、その一喝を口にして、村人をすぐに静かにさせた。ローズとかいうこの女性はここの権力者なのだろうか?ルークは村人を睨みつけつつ、舌打ちをしていたが、ローズの怒声に少なからず驚いたようだ。その前より静かになっていた。

 「なんなんだい?今は客が来てるからね。もう少し静かにしておくれ」

 ローズという女性は村人たちが静かになったと見て、声を落として言った。喉かなのに統率が取れているなこの村、なんてことを思いながら、そんなことはともかくとして、客人が居るのか。お騒がせしてそれはどうも済みません。内心で謝ってみるも、絶対に謝罪の必要などないのだった。冤罪なのだから。

 「あ、ああ、済まないな。そんで、こいつらが食料庫から盗んだと……」
 「違うって言ってんのがわかんねーのかよ!」

 ルークを拘束する男が泥棒の容疑をローズに伝えると、ルークは再び声を荒げた。荒げられるルークを私は少しだけ羨ましく思うよ。なにせ私はすぐに諦め半分になってしまう性格だからな。

 「おやおや、元気の良い坊やですね」
 「ああ、カーティス大佐!済みませんねえ騒がしくて」

 ルークが相変わらずに抵抗すると、それまで壁の陰に隠れて見えなかった客人が、すっと出てきて飄々とした笑みを浮かべて言った。客人は男であった。青い軍服に茶色の長髪、それに眼鏡という知的な風貌である。
 はて、ところで、ローズは今なんと言ったのだったかね?私は耳が遠くなったのだろうか?だって、「カーティス大佐」と言ったら、もうあの人しかいないだろう。

 「……ジェイド……!?」

 ジェイド・カーティス大佐。マルクト帝国皇帝ピオニー陛下の懐刀と名高い、マルクト軍の、「死霊使いジェイド」。戦場で死体を持ち帰って、死者を復活させる実験をしている、という嫌な噂がたっている、あの。陰険で人をからかうのが大好きで私は常々食えない笑みを浮かべていると思っていた、
 ―――私の古い知り合いじゃないか!

 「おや、まで。食料を盗むなんて、そんなにひもじい思いを?」
 「そんなわけないでしょう!生憎お金には困ってないもんで!」

 久しぶりに見た相変わらずのからかい方と、よくわからない笑みを浮かべるジェイドに思わず突っ込む。誰が公爵家に身を置いてひもじい思いをするかよ。お前は何が楽しくてそんなににこにこしているんだ?……とかなんとかいうことは、口に出すわけがない、恐ろしい。
 それにしても、良いところに現れてくれたものだ。冤罪なんて言語道断だ。(希望が見えるとすぐに気を持ち直すのは単純なのではなく長所と言ってもらいたい。)兎に角ここは彼に助けてもらうしかないだろう。軍の大佐の知人となれば勝ったも同然だ。さて、別に勝負しているわけじゃないのに何に勝ったというんだろうね。

 「まあ、ローズ夫人。この人達は違うと思いますよ」
 「ええ、そうですね。食料庫には、これが落ちていましたし」

 ジェイドが口添えをすると、後からローズではなく少年の声が聞こえてきた。穏やかな優しい声音である。それは背後の入り口から飛んできたのだが、振り向きたくとも村人たちに拘束されていて動けない。
 予想しか出来ないが、まさか。
 少年が私たちの前までやってくる。緑色の髪に白い装束を纏った少年は、私を見てにこりと笑った。この線の細い少年、とっても見たことがある気がするぞ。まあ当然だろうな。だって知り合いだ。ここまで暢気に考えて、それから服装と声と顔、全てが一致した事実に、私は唖然とする。彼は紛れもなくローレライ教団の最高指導者、イオンだった。

 「導師イオン!」
 「久しぶりですね、

 思わずその名を口にすると、目の前の教団トップは嬉しそうにはにかんだ。畜生、可愛いじゃないか。それにしても軟禁からの思わぬ解放に際して、久しぶりの再会がやけに多いな。今まで自由が利かず不幸被ってた分の幸運が今更湧いて出てきたのか?超振動でマルクトまで吹っ飛ばされたこと自体は明らかに不幸だと思っていたが、案外運がやってくる始まりだったのだろうか?
 イオンは挨拶を済ますと、私の方に何かを差し出す。

 「これを……チーグルの毛です」

 イオンが私に渡したのは、ローレライ教団で聖獣とされるチーグルの毛だった。こんなものを渡してどうしたのだという視線をイオンに送ると、彼は「普通チーグルは人間の食べ物を食べはしないんです」と答えた。チーグルは普段木の実や茸を食べて生活しているらしい。

 「つまり、犯人は聖獣チーグル……?」
 「そういうことになりますね」

 ティアの疑問にイオンが答える。導師の言葉に村人達がざわめき出すと、疑いが晴れたルークは、「だから言っただろ」と吐き捨て、面倒くさそうな顔をした。あれっ、お前はもう少しイオンに感謝すべきなんじゃないか?

 「はいはい。もう疑いが晴れたことですし、解放してやってください」
 「ああ、そうだったね。ごめんよ、坊や達」

 ざわつく人々をまとめるようにジェイドが注意を引きつけ、私たちを放すように彼らを促す。いやあ、さすが地元の軍人や教団の最高指導者は違うね、下手に名も明かせぬ敵国の貴族たちと違って。我ながら悲しくなってくるよ。
 先陣きってローズ邸から出た私は、表の陽を浴びると大きく伸びをした。朝っぱらからマルクトへ飛ばされ、モンスターと戦い、乗り心地の悪い馬車に揺られ、冤罪を吹っかけられるとは、人生の中で最も非日常的な日だったし、最も最悪な日でもあったね。文句は誰に言えばいいんだ?
 ともあれ私たち3人が外へ出てすぐに、ジェイドやイオンもローズへの用が済んだのか扉を出てきたのだが。

 「軟禁されていたんじゃなかったんですか?」

 早速ジェイドはそう私に言った。お久しぶりですとかお元気でしたかとかそういうのはないのか?思いはしても口に出せないのはここまできて言うまでもない。
 ちらりとイオンを見ると彼は苦笑していたが、生憎ジェイドはそういう普通の感覚は持ち合わせていないらしく、飄々として私を見ていた。この野郎。ルークやティアは彼らと知り合いでないので私と彼らを見比べるばかりである。ティアは導師を知っていたようだが、そりゃまあ普通はローレライ教団の導師くらい、知っているな。ルークは度を越した世間知らずなので置いておくが。

 「ちょっと色々あって外に出ざるを得なかったんだよ。まあ、すぐ屋敷に帰らなきゃならないんだけど」

 ジェイドの問いに対して曖昧に言葉を濁すと、ジェイドは「色々とは?」とさらに尋ねてきたが、黙秘することにした。一応不法に国境を越えてきたのは伏せておくべきだろうし、私も多くは語るまい。何せ捕まってしまうだろうからな。

 「ふむ、まあいいでしょう。私も仕事がありますし、これで失礼しますよ」

 答えるつもりのない私を見て、ジェイドはやれやれと首を振るとそう言った。もう公務に戻るらしい。あれ、久しぶりに会ったのになんかやけにあっさりしたお帰りですね。そう思ったのが顔に出ていたのか、ジェイドは私を見て鼻で笑った。笑うな!さっさと帰る割にからかうのは忘れないのだからこの男もとことん性根曲がった奴である。

 「では、僕もそろそろ連れのところに戻ります」

 そうこうしていると、私とジェイドのやり取りを見ていたイオンが、くすくす笑って言った。笑っていないで何か声を発してくれて構わないのに、楽しんで見ているからジェイドだけでなくこっちも性質が悪いと思うのだが。まあこっちのほうが可愛げがあるのでイオンには何も言うまい。なるほどこれを贔屓というんだな。

 「そっか。じゃあまたね、ジェイド、イオン」
 「また、ですか。まあ、またがあると良いですねえ」
 「そうですね、また会いましょう」

 別れを告げると、ジェイドからは相変わらずの返事がきたが、イオンは微笑んで返してくれた。和むなあと思う。イオンの笑顔だけでなく、ジェイドの変わらぬ態度も含めて、だ。顔を緩めるとまたジェイドに鼻で笑われそうなのでそれは堪えつつ、彼らに背を向けた。ルークとティアをほったらかしにして悪かったと思いながら、2人を見ると、片方は相変わらずの落ち着き様で何でもなさそうだったが、片方は欠伸をしたのち説明しろと視線で訴えてきた。苦笑するほかない。
 あとでジェイドやイオンについてはルークたちに話すことにして、まずは宿屋で今後について話し合わなくてはならない。突然ファブレ邸から姿を消したのだから、急いで帰らないと色々と迷惑もかかるし、早めに行動を起こしたいところだが、出発は明日にすべきだろう。







 「明日はチーグルの森へ行くぞ!」

 ルークが声高らかに言うと、ティアが「本気?」と言った風に顔を歪め、溜息をつく。私は宿のベッドにどかりと座ると、ティア同様に盛大に溜息をつく。つきたくもなるね、こんなことを言われたら。
 ルークは食糧泥棒の罪を擦り付けられたことを根に持っているらしく、ルーク曰く、「舐められたまま黙ってられるかよ!」ということで、その鬱憤を晴らすべく、チーグルの犯行の証拠提示をすることによってシロを明確なものにしようという話であった。そうして彼は明日の行動を決定事項とした。皆で話し合うという展開は一切無いらしい。チーグルの森に行ったところであのチーグルとかいう小動物にどうさせるつもりなんだ。

 「(さっさと帰らないといけないんだけどねえ……)」
 「(明日になったら忘れていると良いけれど)」

 私が思っていることとは違えど、結果的に同じようなことをティアも思っているのだろう、表情が今にも溜息をつきそうであった。両者ともが嫌そうに物思いにふけると、ルークはさっさとベッドに潜り込み、お休み3秒。きっと初めての旅で、体力、精神力の両方ともが削がれて疲れているのだろう。色々面倒ごとにも巻き込まれたし、良い思いもしなかっただろうから、口に出さないだけでちょっとばかり屋敷の生活を懐かしんでいるに違いない。

 「さあ、ティアももう寝たら?」
 「そうね。……は?」
 「私は本読んでから寝るわ」

 そう言って手元にある本を軽くティアに見せてページを捲る。――……『フォミクリー実験について』。ジェイドが書いた本だ。以前彼からこれを貰って以来、何故だか何度も読み返してしまって、愛読書のようなものだった。

 「……随分難しい本を読んでいるのね」
 「そう?簡単な原理とか、そんなんだけど」

 ティアの言葉にそう答えつつも、そりゃ常人が容易に理解できるような内容であるわけがないと内心で思った。でなければ専門家の研究って何なんだって話だ。理解するレベルに達している私は読み込みすぎているだけだ。ちょっと待て、それは私がフォミクリーマニアということか?

 「じゃあ、私は寝るわ。お休みなさい」
 「お休み、ティア」

 ティアがベッドに寝転がると、私は隣のベッドに眠っているルークを見る。この部屋にはベッドが3つ並んで配置されていて、私はその真ん中なのである。これが一番喧嘩のない並びに違いなかったね。
 すっかり疲れて眠っているルークの寝息に少し笑って、そっと彼に近付き、軽くその頭を撫でた。疲れたね、ルーク。だけど君は今日だけで沢山のことを学んだんじゃないか?指通りのよい真っ赤な髪を梳くと、

 「(お休み、ルーク)」

 声には出さずにそう唇で言って、自分のベッドに戻って横になる。枕元に置いた本を再び手にとって開くと、黄色く色素の沈着したページたちがあった。随分長い間読んでるんだなあと思う。思いながらも、気が付くと目が文字を辿っている。これだけ執着しているのなら、今日ジェイドと会った時にもっと沢山話せばよかったのに、―――はて、何に執着しているんだろうな?なんてことに考えが及ぶと、さながら恋する乙女のようで、馬鹿かと思った。
 ―――やっぱりさっさと寝て明日に備えよう。
 今度は私が鼻で笑って、本を閉じた。










すごく話が進みません。

(051224)脱稿
(080907)加筆・修正