「おい、どういうことだ」

 ルークが言った。何かと余計な口が多い彼だが、こればかりは尋ねて至極当然であると言えた。
 私たちはチーグルの森を抜けようとして、やっと入り口まで来たところであった。森の終わりかと思えばいきなりマルクト兵に剣を向けられるという物騒な目に遭い、今に至る。兵士が突きつけた鉄をそのままに、ジェイドは笑みを浮かべて、

 「正体不明の第七音素を放出していたのは貴方がたですね」

 と言った。そこで漸く私ははっとしたわけだが、ちょっと油断しすぎたのだな。そういえば超振動によって不法にマルクト領に侵入していて、それを解っているうえで軍人であるジェイドを警戒していたはずだったのに、一緒に行動していたのは致命的じゃないか!ジェイドのおかげで危機を脱してからというもの流れのままにここまで辿り着いたわけであるが、呆れたものだ、どうしてこんなことに気付かなかったんだろうな?怪音素を発していたのを感知されていても、何も不思議なことではないだろうに?

 「ジェイド!彼等に手荒な真似は……!」

 イオンが私たちを庇う。心の優しい導師だ。戦争を予期した緊張が両国間に流れているこの時、仮にも王族に連なる上流階級である私たちを下手に殺すわけにいかないにしろ、規範上異分子を無視することも出来ないのである。死ぬことにならずとも、捕らえられてどうなるか知れない。ただイオンは私たちが上手くそれを切り抜けることを望んでいるようだ。

 「ええ、解っていますよ。まあ、……も居ますしね」

 思いのほか、ジェイドはあっさりイオンの言葉を呑んだ。呑みはしても何か脅すくらいしそうなものだったが、そうはしなかったので、当然誰も何も言わなかった。それからジェイドは「まあ」から後の言葉を呟くと同時に意味深げに笑うと、

 「連行せよ!」

 と一声を上げ、私たちを陸上装甲艦、タルタロスへと連行すべく兵を動かした。抵抗してもいいだろうか?するだけの元気があるかは当然言うまでもないのだが、そうでもしないと物語は恙無く進行するだけであって、私はこうしてこれまでを過ごしてきたから主人公になどなれなかったのである。







 「……とりあえず艦内を見てまわって、判断してください」

 ジェイドは簡潔にマルクトの考えを説明し終えると、そう言った。
 彼の話によると、現時点で緊張状態が続いているキムラスカとマルクトの和平を取り持つことに協力してほしいというのが彼の望みらしい。とは言っても、突然捕らえられて協力を求められても信用するに足らないわけで、ルークが詳しい話を聞きたがると、真実戦争を止めようとしていることを信じられないのであれば、タルタロス内部の様子を見回って、マルクトに戦争の気がないことを自分の目で確かめろ、と言うのだ。捕縛されてからというもの、今居る一室から足を出せなかったのだが、それと同時に室内から外へ出てよいという許可が下りた。
 ところで、同室内に小さな少女が居た。黒い髪を高い位置でふたつに結って、賢そうな顔をしているその少女は、名をアニスといった。タルタロス艦内に足を踏み入れたのは初めてで都合が解らないルークを案内すべく、彼女も共に行動することになった。

 「宜しく、アニス」
 「よろしくね〜、!」

 挨拶とともに片手を差し出すと、明るい笑顔でアニスがとってくれた。彼女は導師護衛役であった。導師であるイオンには面識があったものの、導師護衛役の彼女にはまだ顔を合わせたことがない。最近役についたのだろうか?それにしても幼い。こんな子でさえ立派に兵として戦っているというのだから不思議だ。不思議というより世も末と言った方がいいかもな。

 「かったりーなあ……」
 「まあ、軍用艦だから、ルークは楽しくなんてないだろうね」
 「本当だぜ……ったく、面倒くせえな……」
 「ガイだったら、楽しめたかもね」

 アニスとの握手ののち、ルークのぼやきを拾い上げると、屋敷に居た使用人を思い出して笑う。ガイは音機関が好きだし、これは私達も同じだけれどこんな軍艦に乗ることも普通ないだろうから喜んでくれそうだ。むろん、でかいものが好きと主張しているだけあって私の趣味はしばしば男性嗜好なので、私もチーグルと戯れるより音機関が好きであった。

 「そんじゃ、早くまわって決めようよ」

 ルークの退屈を紛らわすように某使用人の話題を出したところで、椅子から立ち上がって言う。とっとと協力するかしないかを決めてしまわないことには話がまとまらない。
 結局のところ協力せざるを得ないような台詞回しでもってジェイドは私たちに選択権を与えたが、なんと外見的な民主主義だろうね。とてもヒーローじゃないよ。







 アニスの案内のもと、艦内をさ迷い歩いたところ、上手いことジェイドが根回ししているのかはたまた真面目なのか、マルクト兵にはこれっぽっちも戦争をするオーラを見せず、危険な空気を出さず、戦争回避を疑う余地などどこにもなかった。そりゃそうだ、そういう風に進むシナリオが彼らの中で出来上がっているし、もちろんそれは真実に基づく自信があるからである。
 とうとう何も見つからず、疑えず、艦内の階段を靴底を鳴らしながらのぼると、5人は開けた明るい場所に出た。どうやら屋根がないために日の光が直にあたっているらしい。
 甲板へ続くその場所には、ジェイドが居た。

 「どうですか、2年ぶりのタルタロスは」

 こちらに気付いたジェイドは、にこりと笑って言った。私も笑みを返す。その余所行きの笑いは、突っ込まない方がいいのか?大抵こういうわけの解らない笑みを彼は浮かべているわけだが、そのため彼に関する昔の記憶もそういう顔をしているわけであり、昨日対面したとはいえ、懐古の情がふと過ぎる。ジェイドは変わっていない。変わらないことの、ああ、なんたる幸せか!なんと安堵を与えることか!軟禁された箱の中は不変である。それなのに箱の外は時によって大きく変化するのだ!
 薄笑いを浮かべた私のジェイドに対する返答を待たず、

 「っていうかぁ、2年ぶりってどういうことなの?」
 「軟禁されていたんじゃなかったの?貴方と一緒に」

 アニスが疑問符を飛ばして誰にともなく問う。その突っ込みに続いて、ティアがルークに尋ねる。うん?そう知りたがらなくても何の問題もないだろう?私のことなんか、放っておけ!なぜなら面倒だからであった。ああ、面倒な話は遠慮したいのに、世の中そうもいかないから困りものだね。それにしてもジェイドはすっかり余計なことを言いやがる!人間は、他人の過去を、何にもならないのに知りたがる生き物なのだ!

 「ああ?そっか、話してなかったよな、の事は」

 ルークが思い出したように言うので、いっそ全員ルークであってくれればと思ったね。思っていると、「話しておかないと後々が面倒なのでは」、とジェイドが耳打する。はて、何が面倒なのだろうね?軟禁という事実を外部に漏らす方が、よっぽど面倒を起こしていると思うね、私は。たった一度行動を共にするだけの人間に、個人情報をお教えしたくはないとも。それともジェイド、お前は今後もこのメンバーと交流が続くとでも言うつもりか?

 「あるところに屋敷で軟禁されている少女が居ました。少女の生活は暫く平和でした。ところが7年前に、ひょんなことから屋敷を抜け出すことが出来たのです」

 話をしてやる気もなく口を閉ざしていると、ジェイドが薄い笑みのまま、唐突に話し出した。昔話を語るように始めたのは、私の過去であった。おや、君、許可は誰にとったんだい?ここまでジェイドが話したところでじろりと彼をねめつけると、想像するに易かったことは確かだが、飄々とした腹の立つ顔が返ってくるばかりであった。

 「さて、その後少女は今から2年前まで、巧みな工作でファブレ公爵から逃げ続けたんですよね、?」
 「普通に匿って貰ってただけじゃん。むろん工作なんてしていませんとも。物事を伝えるのには、正確さが大事だと思わない?」
 「ええ、もちろん。だから、私が話したことはすべて真実じゃないですか」

 さも当然そうに言うジェイドを、一見誰も信用しそうにないのに、いざというとき絶対に頼りそうなのが私は気に食わないね。ジェイドは相変わらずわけの解らん笑顔のままであった。君、私に対する妨害が趣味かなにかなのかい?

 「……まあいいや。その間、私はマルクトに渡って旅暮らしをしてたんだけど、グランコクマでピオニー陛下に腕を買われてマルクト軍に入ったの」
 「腕だけじゃなく、頭もきれますから陛下が気に入られたんですよ(見た目も人柄も気に入られてましたけど)」
 「そんで、2年前にいよいよ公爵に見付かってまた軟禁されたわけ。以上、終わり!」

 結局自分で話し始め、ジェイドの付け加えを間に入れつつ皆に過去を聞かせた。ジェイドに頭も切れると言われて内心ほくそ笑みながら、私は非常に簡潔に昔話を締め括った。何の共通点も無いめいめいがまともに話を聞いていることに驚いたが、まあ、普通の人間の生き様に軟禁が絡むことはまずないので、興味が沸かなくもないとは思うがね。

 「ふうん。……でも何でがファブレ公爵の屋敷に軟禁されてるの?」

 アニスが、ふと思ったことを口に出す。多分、その理由は髪だ。王族に連なるものは、燃える様な赤い髪と決まっているのである。対して私は真っ黒であった。私はファブレ家に身を置いているので姓もファブレだが、血はそのものではなかった。公爵とも、公爵夫人とも、ルークとも似ていない。彼らと血のつながりはないのである。いわば私は、拾われ子であった。

 「ま、その内話す機会があったらね」

 これは流石に言って辛気臭い空気が流れそうだったので語るまい。それに何より面倒だ。何より楽を愛する人間に、果たして幸せな未来などやってくるものか?努力なくして何かを手に入れることは好まない。そうではなくて、私は努力せず何も得ようとしていないのだ。

 「……あまり言いたくないのですね」
 「が話してくれる時で良いわ。待ちましょう?」

 イオンとティアが優しげな声音で言うのを、私は聞いた。おお、なんと心優しき少年、少女か!特別惨めであるとか辛いだとかいう気持ちがあって言いたくないわけではないのに、気を遣ってくれる優しさよ!君の気遣いは、時として意図せず私を助けるのだ!心奥のそんな思いを知っているかのごとく、ジェイドは含みある顔で笑った。ジェイドは、私がなにも気に病んでいないことを、知っているのである。ああ、面倒は放置しておくに限るね。

 「はい、この件は終わりです。さ、和平の協力についての答えは頂けますか?」







 最終的なルークの決断により、はじめから解ってはいたものの協力することにした私達は、詳しい話を聞くため再びもと居た部屋に戻った。まあ、はっきり言って無駄足も甚だしいわけであるが、高価な音機関の使用されている久々のタルタロスをよろしく見学出来ただろう。帰ったらガイに自慢しようかね。
 ともかくローレライ教団の大詠師モースがオールドラントの二国間において戦争を起こさせようとしているということについてなどの話を終え、面倒な内容はその辺で終わらせた。誰も好きで戦争云々を口にしているわけではないのである。

 「……ところで、それで良いんですか?」
 「は?何が」
 「わかりませんか?」

 私は意味不明なジェイドの問いかけに対して眉間に皺を寄せ、尋ね返した。理解の出来ぬ私を前にして、ジェイドは、「頭のきれる、は間違いでしたねえ」と不名誉なことを抜かし、やれやれと、視線と指を私の服へ向けた。
 おっと。
 自分の姿を改めて見て、思わずそう口に出しかけた。各々が会話に華を咲かせたり、寛いでいたりするなかで、こちらに誰も注目していないと思ったが、この会話が気になったのか、全員の目線の先に自分がいる。君、話していて構わないよ、なぜなら注目されるのが嫌いだからさ。
 さて、その問題の服装といえば、貴族にしては地味であるが、ドレスに違いなかった。

 「旅をするには不向きと言えるでしょう。それに、……人目を引きますよ?」

 ええ、ええ、解っていますよ。言われてみれば確かにそうだね、そのとおりさ。はて、どうして今まで気が付かなかったのか?人の視線にはちょっとばかり敏感だと思っていたんだがね?突然事件に巻き込まれたことに混乱していたのだろうか?いいや、きっとただの呆けだね。ついでに気付かなかったもうひとつの理由は、戦うのにも強敵がさほど居なかったために基本的に苦戦はなかったし、ドレスであっても全く動きを制御されたりしなかったからだね。つまるところ、割かし快適に旅業に勤しんでいたわけである。
 増してや、普段は楽なズボンで生活しているし、自分がスカートであることなど忘れていたね。あの朝ティアが屋敷へやってこなければ、あの後パーティーと会議があったのだ。ドレスはそのために着ていたのであって、普通は着飾らない性質だ。ふむ、これをずぼらというのだ。

 「代えなんて持ってないんだけど」
 「突然転移してきたのだから、どうせそんな事だろうと思いましてね。陛下と連絡を取っておいたんですよ」

 そう言って彼はひらりとピオニーからの返事であろう手紙を私に見せると、私は皇帝から送られてきたであろう服と一緒に渡された。皇帝に連絡?手回しが早すぎる。ということは、再開した時点で、もう、こういうシナリオを作っていたのか?何が「またがあるといいですね」だ。

 「…………」
 「ふむ、……陛下らしい」

 渡された服を包みから出すと、黒を基調とした、動きやすそうなデザインが現れた。基調とした?いいや、真っ黒だったね。そいつは悪役の如し黒であった。センスも悪くないし、すっきりしたシルエットが良かったが、全面的な黒が私に訴えかけるのだ、暗黒を、悪魔を、非情を!恐らくピオニーからの私のイメージを意図してつくらせたものと思われる。執務をさぼるピオニーを叱っては、鬼、非情と次々彼が出自の私の二つ名は増えていったが、しまいには悪魔になったことをよく覚えている。

 「とりあえず着替えてはどうですか?」
 「そうだよ!着替えてみてみて〜!」

 肩を落とす私ににこりと微笑むジェイドが、楽しそうに言うアニスが、なんだか理不尽に憎いね。笑顔に囲まれて楽しい思いをした覚えがここ最近めっきりないのだが、それは一体全体どういうことだろう?
 利かせなくていい気をしっかり利かせ、男性陣を追い出しにかかるアニスは、年頃の少女であった。少女らしく、身嗜みに敏感でもあった。乙女とは、そうであるべきなのである。私も真実、こうあるべきなのだと世は言うが、当の私はすべからく少女的観念を手から零している女であった。
 なにがそんなに楽しいのかと、聞くほど野暮ではなかったが、生憎それだけであった。

 5分が経過すると、アニスの手伝いもあり着替えは恙無くことを終えた。計算しつくされたかのようにスムーズな着衣にこれほど困ったことは今までになかったね。ばたんと大きな音をたてて開いたドアから、アニスが本当に楽しそうに飛び出すのを他4人が確認すると、私はいよいよ溜息をついた。

 「じゃじゃ〜ん!の新コスチュームぅ〜!」

 元気がよいことは彼女の長所であるが、時として私に殺さんばかりの疲労を与えると、私はこのとき初めて理解した。この黒を纏って自ら部屋から足を踏み出すのには気が引ける。見かねたか、アニスが再び部屋の中に入って、私を引きずり出すので、無駄な抵抗は止めた。なんで抵抗しているかって?この黒が、悪魔の、象徴だからだ!

 「見てみて!凄い似合うでしょ!」

 アニスが嬉々として口にした言葉は、諸刃の剣であった。似合う?悪魔の黒が?
 出てきたっきり無言を通す私をジェイドがせせら笑っている気がして軽く睨むと、毎度のやれやれ視線が返ってくる。お前は、そういう態度しか、取れないのか?
 ああ、むやみやたらに内心で悪魔の黒衣などと否定しまくる私に対し、周囲の反応はまるで違ったとだけは言っておこう。特注なだけあって絶賛だったさ。最悪の二つ名の象徴だと知っての賞賛であれば、私は迷わず全員の顔面に拳を入れてやろうと思うがね。

 「さて、お子様はむこうに行っていなさい。私はちょっとに話がありますので」

 そんなことを考えていると、ジェイドが話を打ち切った。そうだそうだ、さっさとこんな話終わらせてしまえ!そうは思うも、話っていうのは聞かなかったことにしたいところだな。なぜかって、こいつ、再会してからからかう以外のことしてないんだぜ?
 そんなジェイドの声に「えーっ」と反対の声を上げるのは勿論アニスであるが、当然今ここでの最高権力者は隣の眼鏡なので、誰も逆らわず(というよりは逆らっても相手にされず)追いやられた。
 行かないでおくれと内心で懇願しながら、去ってゆく赤毛の背中を目で追っていた私はジェイドに先程着替えていた部屋へと押し込まれると、いよいよ溜息をつくしかなかった。

 「まあ、そんな疲れた顔をせずに。お似合いですよ」

 内心憤慨する私を宥めるように、ジェイドがにこりと笑って言う。せせら笑ったあとにそんなことを言われても効果激減である。だから、ちょっとだって、嬉しくなんか、ないんだからな!顔が熱くなるのは、怒っているからなんだからな!(からかったあとに本気の顔で言うのは、世間では反則って言うんだ!)
 かっとなったと同時に、なんだかくらくらしてくる。おや、これは?

 「眩暈がする」
 「おっと。大丈夫ですか?」

 周囲の漫才に付き合っていては身が持たないとは思っていたが、これはそういうことではなさそうである。まるきり体調の悪い時の眩暈だ。ふらっと身体が傾ぐ。と、私をからかうために傍に居たジェイドが寄って、体を支えてくれた。ちょっと、ドキッと、するじゃないか!床と対面しなかっただけ良いが、一概に良しとも言えない。近い。至近距離、ダメ、ゼッタイ。

 「ええい、近い、離れろ!」
 「…………何、照れてるんです」

 礼より何より先に口が開いて、即座に壁際に寄って距離をとる。とるさ、とるとも。だって近いと、ドキドキする。だからって、照れてるわけじゃないぞ、断じて。多分。恐らく。きっと。あれ、おかしいな、どんどん自信が消失していっているぞ。
 ともかく、今はそんなこと問題じゃない。壁にひっついた私に対し、ジェイドが呆気にとられたような顔をして、まじまじと私を見て、それからにやにや笑い出した。

 「気持ち悪いんですが」
 「心外ですね」

 ジェイドは私の悪口に対してそれだけを言うと、部屋の出入り口へと向かって、何をしたと思う?この眼鏡、鍵かけやがった!(内部からかけられるといってもロックは私の見たことのないハイテク機器なので開けられないのであった。)
 とりあえず壁に引っ付いていることにどことなく危険を感じるので、部屋中央のテーブルと椅子まで辿りつき、手近な椅子に腰掛けた。なんだかそわそわする。なにせ密室にジェイドと2人という謎のシチュエーションなのである。

 「さて、これで誰にも邪魔されませんね」

 ブーツの底を鳴らしてこちらへ来るジェイドは長身である。力も強い。もし素手で戦ったとしたら、恐らく惨敗だろう。こんなに真面目に生きてきたのにな。そんなこと戦闘では反映されないから自暴自棄になるんだよ。
 不穏な言葉を口にしたジェイドは、長い手をすっと伸ばし、私の顎を掴み、上を向かせて、―――は?何のプレイだ、これ?
 近づけられた顔は端整で、数秒ほど見惚れるも、はっと我に返る。おい、待て、近いじゃないか!

 「何今気付いたみたいな顔をしてるんですか。抵抗しないのならこのまま続けますが」

 突然ぎょっとした私を見てジェイドが言う。は?何を言っているのか理解出来ないんだが、それはまさか私の頭が悪いとか、そういうことではあるまいよ。続けるって、続けるっておまえ、それは!国家に仕える軍人が、一般人に同意を得ずして手を出すなど!

 「抵抗しますとも!しますとも!するのはともかく、至近距離で喋らないでくれない、唾飛ぶんですけど!」
 「貴方の方がよっぽど飛ばしていると思いますよ」
 「いいから、顔!どかせ!」

 飄々と返してくるだけで手を離さないジェイドに頭突きを食らわそうとするも、その瞬間にぱっと離されて挙句かわされた。助かった。助かったけれども、何だか物凄く癪だ!どうして、何で私がこうも苛々しなきゃならないんだ?さて、いつ胃に穴が開くだろうね。もし本当に開いたなら本格的に復讐を考えるね。

 「で、話って何?」

 頭をがしがし掻きながら、腹が立つのをどうにかこうにか鎮静化させようとしつつ、じろりとジェイドを睨みつけて問う。話があるっていうから来たのであって、本来ならばルークとだべるかアニスに案内をさせるかしていたはずである。私のめくるめくタルタロスライフを返せよ。
 私の問いに対してジェイドは、

 「いえ、貴方の顔色が悪いと思っていたので」

 と視線を逸らして言った。それから眼鏡のブリッジを押し上げた。顔色が悪いなんて、よく気付いたな。よく気がつくルークだって解ってなかったのに。思ってジェイドを見ても、彼はこっちを見ない。あれ、なんだこれ、もしかしなくても照れてる?

 「心配した?」

 問いかけてみると、じろっとジェイドがこちらを睨んだ。それも無言で。多分図星である。そう解ると同時に、胸が温かくなる。私にはまだ心配してくれる人が居るんだな。血の繋がった人間が誰一人いなくなってしまっても、私を知っている、私の名前を呼んでくれる人が居る。案外捨てたもんじゃないんだな。
 私は身寄りがなくなったがためにルークの居るファブレ家に引き取られたのであった。引き取ってもらった理由なんて、下世話なものだが。何にせよ生きていくことが出来たのは、名前を呼んでくれるひとに会えたのは、人生で最大の幸福だろうよ。

 「サンキュ」

 心配してくれたことだけじゃなく、彼が今までしてくれた全部に礼を言う。からかわないでほしいのは勿論のことだけれどもな。今度こそ照れくさくてちょっとばかり笑うと、ジェイドもやわく笑った。なんだよ、畜生。からかわれるのより、こうして笑っていてくれた方がよっぽど幸せだよ。
 そんなことを考えていると、マルクト兵が騒がしく通路を駆けている音が部屋の外から微かに聞こえてくる。かと思えば、どんどんと厚い扉が叩かれた。相当耳の良い人間でないと気付けないだろうよ、自分の耳に口笛を吹きたくなったね。さて、とりあえずこれにて密室から解放されるかい?

 「どうしたんです」
 「タルタロスが、グリフィンの襲撃を受けました!」

 ジェイドが渋々扉を開けると、一人の兵士が息を上げて叫ぶように報告した。彼によると、グリフィンが群れを成してこちらに攻撃を仕掛けているらしい。はて、グリフィンの襲撃?そいつらって、群れを成して行動するような魔物だったか?
 一通り今の状況をジェイドに説明した後、すぐに兵士は持ち場へ戻っていった。働け働け、腕の見せ所だぞ。かくいう私も出動しないことには屋敷へ恙無く帰ることが出来ないかもしれないので、働きに出るしかないのだがね。下っ端のごとく前へ出て行ってやるよ。

 「くれぐれも無理はしないように」

 通路へ出て腕まくりをすると、ジェイドが私に声をかける。やる気があるわけでもなく、単に義務感から動き出そうとしている私は、確かにちょっとばかり心配の種だろうね。無理しやすいタイプだからな。にしても、今日は随分優しいですこと。常にこうあってくれたら旦那に欲しくなっただろうに。

 「わかってるよ」

 適当に笑って返すと、頭を小突かれた。あーあ、何が魔物だよ。私ごときが幸せなんか感じたから、神様が許してくれなかったのかね。まあ、当然信じてなんかいないわけだがね。







 グリフィンを倒すべくブリッジへと向かうと、その途中でルーク、ティア、アニスと合流した。これだけ居れば案外なんとかなるんじゃないか、と楽観視していると、なんとグリフィンのみならずライガからまで強襲を受けているという。おいおい勘弁してくれよ。

 「何なんだよ!何で俺がこんな目に!俺は降りるからな!」
 「待ってルーク!今外に出たら危険よ!」

 状況を伝えられたルークが焦って外に出ようとすると、ティアが止める。セーブ役になってくれて私は大変助かるよ。流石に無駄な眩暈は起こしたくないのでね。
 ティアの言う通り、今タルタロスから出れば危険だろう。自分で身を守るよりも、このタルタロスを上手く利用した方が良い手段だと思われる。上手く利用する方法を考えるのは、ジェイドに譲るがな。面倒くさい。

 「とりあえずここはまず、―――……誰か来ます」

 ジェイドが全員に指示を出そうとするが、通路の遠方に大柄な男が歩んでくるのに気付いた。おっと、耳は良いのにうっかりで命を落としちゃ敵わないな。人の指示に頼りすぎであった。
 さて、遠目に見ても体格の良いあいつは……―――、六神将「黒獅子のラルゴ」、だろうな。うん?神託の盾までがタルタロスを占拠しようとしているのか?となると、反イオン派による和平の妨害か?何が、黒獅子、だ!格好つけやがって!悪魔なんて誰が望んで名乗るか!
 勝手にひとり悶々考えていると、ジェイドの譜術が奴目掛けて飛ぶ。はっと我に返って、それと同時に私も詠唱し術を放つが、避けられる。ああ、もう、腹立つ!

 「……流石だな。だが、ここからは少し大人しくしてもらおうか。……導師イオンに使うはずが、こんなところで使う羽目になるとはな」

 ラルゴはジェイドの譜術ともども避けて、それからそんなことを言った。彼の手には私の見たことのない譜業か何かがある。なんだあれは?
 そんな疑問に答えるように、

 「あれは……―――封印術アンチフォンスロット?!」

 ティアが言った。封印術って、あれか、全身のフォンスロットを封じてしまうとかいう、破格の兵器か。ラルゴの手からそれが放たれる。標的はジェイドだ。「死霊使いネクロマンサー」も随分と危険視されてるもんだな。いやはや知り合いが有名だと鼻が高いよ。
 なんてことは二の次である。流石にこれに手を出すことは出来ず、ジェイドは封印術にかけられるほかなかった。一度力が抜けたように膝をついたが、その間に私が譜術をラルゴへと放る。それを無駄にせずジェイドはラルゴの懐へと飛び込むと、槍で急所を突く。ラルゴを貫いた槍が抜かれると、彼は膝をついた。多分致命傷だろう。ただ、ジェイドもただでは済まなかったのが痛い。封印術はやっかいだ。

 「ジェイド、動ける?」
 「……大丈夫です。早く、ブリッジへ」
 「うん、行こう」

 恐らく瀕死状態であろう、抵抗をしなくなったラルゴをその場に残して走り出す。「……さ、刺した……」と言って血の気が引いているへたり込んだルークを無理に引き起こして、ブリッジへと走る。
 ごめんねルーク、私だって本当は、そうあるべきなんだよね。だけどとっくの昔にそうやって怖くなるのを終えて、とっくの昔に何も考えず身を護れるようになっていたんだよ。いつだって、君のようであるべきなんだ。本当は、そうじゃなきゃいけないんだ。解ってる、解ってるよ。
 それでも、それだけじゃ生きていけなかった。







 ブリッジ到着後、信託の盾兵に乗っ取られたそこを奪還するため、ジェイドとティアが中へ入る。まだ「人を刺す」場面の余韻が消えないのか、顔色が冴えないルークだけを見張りに残しておくには危険なため、私は彼と一緒に外に残ることにした。私はさしずめ「ルークの見張り」として居るわけだな。こんなことを彼に聞かれたら、彼は憤慨するだろうよ。

 「アホ面して寝てやがる」
 「ティアが譜歌を使えてラッキーだったね」

 艦橋の入り口前で譜歌によって眠らされた神託の盾兵の寝顔を観賞しながら、ルークと言う。彼が変な行動をしないように見張っているというのは事実だが、実際私が彼と共に残ったのは、あの2人の軍人たちがルークの精神衛生上よくないと思ったからでもあった。何もルークの見張りなら私でなくとも良いが、そのために私が名乗りを上げたのである。ルークの気持ちをどんどん落ち込ませるようなことをして欲しくなかったのだ。

 「……何か大変なことになったな。さっさと屋敷に帰れると思ったのに」

 ぽつぽつとルークが言う。心なしか元気もない。そりゃあ人間を殺めるような場所に足を踏み込んでしまったのだから当然だろうが、もっと色々考えているのだろう。今まで屋敷で過ごしてきた時間より、ずっと沢山のものに出会ってしまったのだ。自分にマイナスをぶつける人間がいることも、沢山知ったはずだ。

 「怖いよね。外に出たら人を殺さなきゃならないことだってあるんだから」

 辛い思いをしているルークに、したくないはずの話題を持ちかける。したくないからって逃げて良い問題でもないからだ。自分は戦わずに護ってもらうもよし、覚悟を決めて戦うもよし。前者であっても全然恥ずかしいことなんかじゃない。

 「……お前、結構、」
 「性格悪いって?」
 「いや、そんなんじゃねえよ。でもさ、やっぱ正直―――……人間相手なんて、怖いだろ」

 怖い、とルークが言う。ルークは意地っ張りで、出来ないのに、でもなんとかしたくて、もがいているような人だ。何も考えず手を下す私より、ずっと優しい子だ。優しくて、泣きたくなる。ルークのそういうところはジェイドやティアに言わせれば「甘い」という言葉になってしまうかもしれないけれど、私はルークのそれが好きだ。

 「怖くていいんだよ。怖いと思うことって、大事だよ」

 怖いってなんだ?いつから忘れた?小さいころ、初めて人が危められているのを見たとき、怖いと思った。だけどそれって、なんだったんだ?解らなくなるなんて、人間として欠陥しているに違いない。今は、命を奪うことを怖いと、思えるだろうか?ライガ・クィーンを思い出す。身を護るために殺した。自分が生き残るために、そればかりに必死になって、殺した。

 「は、怖くないのか?」
 「…………わかんない」

 ルークの問い掛けに困ったような顔で笑う。わからない。命を奪うのが怖いということには気付いた。でも今、この眠っている神託の盾兵が目覚めたとして、攻撃してきたとして、私はその命を奪うことに恐怖を感じるだろうか?また生きることに必死で、忘れてしまうのではないか?
 なんだ、と思う。葛藤があったのは、何もルークだけじゃなかった。私もルークと一緒に旅をしながら、何か得たものがあったのかな。あったらいい。そうして「怖い」と思う心を取り戻さなければならない。

 「わかんないって、お前。……ま、いいけどさ」

 ルークは眉を歪ませたものの、まあ納得する。私はちらりとブリッジの入り口を見遣る。艦橋を奪還すべく此処へやってきて、早10分経った。ジェイドとティアはまだだろうか。
 丁度その時、がちゃん、と後方から音がした。しかも、すぐそこからだ。振り返る。―――神託の盾兵が、目を覚ましたのだ。ルークが小馬鹿にしていた鎧の兵士が、覚醒して腕を動かした音のようだ。

 「お、おい、まずくねえか?ティアの術の効果が切れてるんじゃ、」

 神託の盾兵が、むくりと起き上がる。うろたえるルークより一歩前に出て、剣を鞘から抜く。相手は人間だ。私がやらなくちゃならない。「怖い」を、どこかに置いてきてしまった、私が。
 この剣を簡単に突き出しては、薙いではいけないということは、もう解っている。だけど、やっぱりそれだけだ。
 神託の盾兵は剣を構えると、こちらへ斬りかかって来る。動けずにいるルークを突き飛ばして、その刃を刃で受ける。相手は別段強くない。金属が噛む音が高く響いたので、ジェイドたちも来るすぐにはずだ。
 だけど来るまでは、受身一本の防御戦でいく。命の重さとは、一体どれほどのものなのだろうか?この剣の一突きで、私は何を失えばいい?

 「お前、負けるよ」
 「……っ……」

 刃を噛み合わせたまま、至近距離で強く睨む。鎧の奥の目が、揺れる、漣立つ、気圧される。絶対零度の眼力にうろたえ、恐怖し、硬直した神託の盾兵を、そのまま力押しで薙ぎ倒す。
 倒れた兵士は起き上がって、息を深く吐くと、素早く踏み込んで突こうとする。避ける。これじゃきっと百年かかっても私を倒すことは出来ないだろう。私は、今彼が感じている極限の恐怖を、どこかに捨ててきた。この無感情は、何だ?私は今、後ろでへたり込んでいるルークを守ることしか考えていない。考えられない。ルークが、居る。一緒に居るから。だから私が守ってやらなくちゃ。

 「何の騒ぎです!」

 ジェイドがブリッジから出て来た。ティアもその後に続いていた。その姿を見て、ふっと安堵する。ジェイドもティアも軍人だ。これで、ルークが守れる。これで殺さなくて済む。人殺しをしなくて済む。私が手を下さなくていいんだ。―――じゃあ誰が殺すって?

 「フレイムバースト!」

 ジェイドが譜術を発動する。その心地よい声は、今何を唱えたの?何をしているの?何を、したの?思考と同時に炎が神託の盾兵を包む。赤い色が瞳を焼く。爆音。風が一帯を強く薙ぐ。爆発と共に上がる煙。像が見えなくなる。見えなくても、どうなったかわかるのに、見たくないのに、視線が外せない。目を瞬くのを忘れる。ゆっくりと煙が雲散すると、煤けた鎧。熔解した装飾。血は一滴も出ない。ただ、焼かれた臭いだけが鼻を突いた。残酷だなんて、初めて思った。
 ああ、そっか。
 私がやらなかったら、誰かがやるだけなんだ。殺さず上手く気を失わせるとか、それって甘い?甘いよ。だって殺さなきゃ、道は開けないんだ、何度だって自分が危められそうになるだけなんだ、生きていけないんだ。皆何かを、守ってるんだ。
 駄目だって心は言うのに、現実はそれを否定するばかりだなんて、そんなの。

 「大丈夫ですか」
 「え、ああ、うん。……平気」
 「らしくないですね。軍に居たときは張り切って前線に出ていたでしょう」

 敵を片付けたジェイドが私に言う。そうだったっけ。そんなことあったっけ。平和ボケしてて、忘れちゃったのかな。―――いいや、違う。覚えてる。沢山戦ったことを、ちゃんと覚えてる。だからきっと、ルークの言葉の所為だ。「怖い」と言ったルークの言葉がきっと私は、痛かったんだ。私は「怖い」が解らない悪い奴なんだ。けれど、殺しちゃいけないと思って、それだけは解って、だから誰かに擦り付けたんだ。殺すことを擦り付けたんだ。

 「…………ごめん、ジェイド」
 「いえ」

 ジェイドは「何が」とは聞かずに、ただそう言った。私の罪を、今ジェイドが攫っていったのだ。本当は私が背負っていかなきゃならない命を、一人分多く、ジェイドは持っていった。ジェイドは知っていて、荷物を持ってくれたのかもしれない。それが嬉しくて、悲しかった。同時に空しかったし、辛くもあった。
 生暖かいものが頬を伝うのを感じて、自分が泣いていることに気付いた。なんだ、涙って、簡単に出るんだ。

 「……それも、らしくないですね」

 そう言って溜息をつきながら、ジェイドは私を抱き締めた。そっと頭を撫でてくれる手の重みが、心を刺す。零れる涙を拭こうともしない私を、らしくないと言ったジェイドは、「私らしい」を知っているほど私を見ていてくれたのだろうか。だけど私は、「私らしい」のほうが、「怖い」よりも、よっぽど解らなかった。
 ただ、ジェイドの腕の中は暖かかった。柄にもなく、生きてるんだと心の底から感じた。私も、ジェイドも、生きてるんだ。その現実が、痛すぎた。ルークの「怖い」が、ちょっとだけ解ったような気がした。この温度を、触れられる現実を、失いたくない。失うのが、怖い。

 「茶番はおしまいか?」

 突然冷えた声が響く。それが聞こえたのは、私たちが来た方向からだった。人だ。人間が来る。知らず肩を震わせた私に回す手を、ジェイドは強くした。大丈夫、きっと落ち着ける。
 声の方を見ると、ばらばらと神託の盾兵が私達を取り囲んだ。同じ鎧を着込んだ兵士が多数此方に武器を向ける。あまりに、数が多すぎる。そのうえ、その中心には、黒い装束に燃えるような長い赤毛を持った―――多分神託の盾の幹部。さっと不安が過ぎった。私はルークを、守らなくちゃいけないのに。

 「人を殺すことが怖いなら、剣なんて棄てちまいな!この出来損ないが!」

 長く紅い髪の男は、よくルークに似た顔をしていた。怒りに染められたその顔を、何故かひどく懐かしく感じる。ルークに似ているからだろうか?
 ともあれ、ティアに助け起こされたルークへ向かって吐き捨てられた酷い言葉に、私は小さく眉を寄せる。出来損ないなんて、ルークを知りもしないお前が語るな!内心で憤慨すると、それに気付いたかのように男は私の方をちらりと見た。と、思ったら舌打ちをして、

 「……捕らえてどこかの船室にでも閉じ込めておけ!」

 と下級の者どもに怒鳴るように命じた。







 「…………あれ」

 目が覚めると、簡素な寝台に居た。起き上がると硬い台の所為だけでなく、疲労も相俟って身体があちこち痛んだ。筋肉痛には眉間に皺を寄せるだけのものがあったよ、畜生。
 此処は、どこだ?どこだかわからないが、ただ、薄暗い壁が見える。

 「気がつきましたか」

 目をしばたくと突然横から声がして、びくりと身体を揺らした。見るとジェイドがパイプ椅子に腰掛けて此方を見ていた。なんだ、ジェイドか。吃驚した私を安心させるように微笑むジェイドに安堵する。

 「ところで、何で私は寝てたの?」
 「…………そうきましたか。此処へ連行される間、暢気なものですね、気を失いやがったんですよ、一体誰が運んだと思います?」

 その顔はジェイドだってことなんだろうね、元気さえあれば土下座して謝るよ。皮肉ばかりのジェイドの言動に苦笑すると、ジェイドも嫌味な表情を崩す。

 「まあ、のんびりしているわけにも行きませんから、これまでのこと、それと今後のことをざっと説明します。寝ぼけていないできちんと聞いていてください」

 ジェイドが目覚めたばかりの私に対し、矢継ぎ早に言う。やれやれと首を振りたくても、実際そうしたいのはジェイドの方だろうから、流石に真面目な顔して聞くほかなかったがね。
 ジェイドの話によると、神託の盾にこの暗い部屋に連行され、私が意識を失っている間に、奪われた武器と、脱出に必要な「イイモノ」がある部屋を艦内から探し出したらしい。狭い行動範囲の中にそんなものをむざむざ置いていくなんて、神託の盾も案外馬鹿だな。
 まあともかく、つまり、私が寝ている間にことはすべて満を持したので、私自身は脱出するだけで良いということだ。
 ルークが体調の優れない私を心配してくれたが、まずはタルタロスから外へ出ることを考えろと軍人に言われたので、そんなこんなで、その「イイモノ」がある部屋へ連れて来られた。どうやら倉庫になっているようだ。

 「あれって、爆薬?」
 「そのとおりです。ミュウ、お願いします」

 私がジェイドに問うと、まさしくと返事が返ってきた。へえ、隔壁をこれで爆破するってことかよ。偉大なるタルタロスを破損させるなんて、こんなときじゃなかったら絶対断固として拒否していたはずなのにな、この非常時が悔しくて仕方ないよ。涙を呑んで我慢するさ。
 ミュウがジェイドに言われるまま火を噴くと、ボッ、という火のついた音のあと、爆音。分厚い隔壁が無残に破壊される音がする。泣きたい。
 さて、私の心は無視して、完全に壁は破られた。

 「ミュウは大活躍ですねえ」
 「……それは暗に、私に役立たず、って言ってるんですよね」

 嫌味なんか、慣れてるんだからな。







 「……これまつまり私に屋敷へ帰るなって言ってるんですかね」

 神託の盾はイオンを攫うべく、このタルタロスを襲撃したようだが、私にとってそんなことはおまけでしかなく、とにかく邪魔をする奴らを薙ぎ倒して、なんとしてでもルークと帰るのが最優先事項であった。よって、私は今目の前に広がっている状況にご立腹であった。

 「くっそ、どうしたら良いんだよ!」

 何が起きているか説明しよう。隔壁を爆破して、タルタロスの外面を伝って左舷昇降口まで来た私たちは、ジェイドの作戦案で、イオンを乗艦させるために開かれる昇降口を利用して攻めるということになっていた。敵によってハッチが開かれると同時にルークがミュウの炎でハッチを開けた兵士を倒すと、兵士はハッチから伸びる階段を転げ落ちた。それ音を聞いた六神将「魔弾のリグレット」が、銃をこちらへ向けて弾丸を放とうとするが、ジェイドの方が早く、彼女の動きを封じた。
 それだけならよかったよ、それだけなら。
 あとはティアが譜歌で敵の動きを完全に封じてくれたら、それでチェックメイトだった。が、なんとかいける、と思ったところで、「妖獣のアリエッタ」の登場により急展開を迎えた。しかも悪い方向にな。ティアがアリエッタに襲われると同時にリグレットはジェイドから逃れ、イオンを人質に取った。お前ら真面目にやってんのかよ!
 ちなみに私はいざというときのための人員として、未だ階段下で待機していたのだが、人質を取られちゃうまいこと動けまい。これ結局役立たずじゃん!
 こりゃもう駄目だな。
 考えをめぐらせることも放棄して半ば諦めていると、タルタロスの最上に気配と、影がひとつあるのに気付いた。逆光で何も見えないが、誰か居る。

 「なんだ……?」

 誰にも聞こえなかったであろうその呟きと同時に、その影は艦上部から消えた。飛び降りたのだ。その影が降りてくると再び、戦況が再びの急展開を迎えた。
 なぜなら、その誰とも知れぬ影が、私以外の誰にも気付かれなかったために、リグレットまで上空から容易に近づいて、落下するエネルギーをたっぷり蓄えて、彼女へ斬りかかり、避けきれずに防御した彼女を後退させたからだ。リグレットの体勢を打ち崩した影は、人質にされていたイオンを奪い返すと、そこを走り抜けた。
 あれっ、こちらが有利な展開じゃないか。何そのヒーロー的登場。私の出番は?

「ガイ様、華麗に参上!ってな」
「ガイ!?」

 爽やかに名乗った影は、うちの使用人であった。私のするべき手柄を掻っ攫っていったそいつに驚愕する私のほうへ、彼はイオンを連れてくると、これまた爽やかに笑った。

「ガイ、来てくれたのか!」

 どうやらこちらに助太刀してくれるようであるガイを目にして、沈んでいたルークの顔がぱっと明るくなる。畜生、その役は私がしたかったのに。使用人の分際で生意気を。なんて言えるほどまともに考えてもいなければ逆境に立ち向かおうともしなかったので黙っているしかない。

 「さあ、もう一度武器を棄てて、タルタロスの中へ戻ってもらいましょうか」

 溜息をついていると、ジェイドが隙を突いてアリエッタを羽交い絞めにしていた。今度はこっちが人質をとったようだ。それ悪役がやることなんじゃ、なんて突っ込みは何もしていない私はしないでおこう。

 「……イオン様……。あの……あの……」
 「言うことを聞いて下さい、アリエッタ」

 リグレットがジェイドに言われるまま譜銃を捨て、周囲に居た兵士もそれに習い、タルタロスへ戻った。が、アリエッタは何かイオンに言おうとする。イオンはそれを聞かずにそう言ったがね。
 アリエッタもイオンに言われると逆らえないのか、ライガを連れてタルタロスへ戻った。ティアがハッチを閉める。暫くは開かないようになっているようだ。タルタロスなら、むしろ私が戻りたいよ。色々音機関を見てきたかったのに。

 「ふぅ……助かった……。ガイ!よく来てくれたな!」
 「やー、捜したぜ。こんな所にいやがるとはなー」

 ことが一段落ついたと見ると、ルークが安堵の溜息をついて、ガイへ駆け寄った。良かったな親友に会えて。別に嫉妬なんかしてないんだからな。どうせなら一番にこっちへ来て欲しかったなんて、思ってないんだからな。
 それにしても、我ながらここ数時間で物凄い労働であったと感ずるよ。ご苦労ご苦労!たった今は、何もしていなかったがな。そうであっても、そもそも旅が、戦闘が、しばらく屋敷篭りの私にとってはすさまじい労働だったと言える。誰か褒めて遣わせ。
 まあ、そんなことは誰も関知しやしないわけで、仲間たちはイオンを気遣ったり、ガイにまとわりついたりしている。どうやらイオンはタルタロスでの出来事に対する抵抗で、「ダアト式譜術」という疲弊の著しい術を使ったらしく、体力の消耗が激しい。

 「ところでイオン様。アニスはどうしました」
 「敵に奪われた親書を取り返そうとして魔物に船窓から吹き飛ばされて……。ただ、遺体が見つからないと話しているのを聞いたので、無事でいてくれると……」
 「それならセントビナーへ向かいましょう。アニスとの合流先です」

 ふと気付いたジェイドがイオンに問うと、イオンは答える。ここから歩いてセントビナーに向かうらしい。多分そう遠くはないだろう。
 しかし疲労したイオンのために、タルタロスを少し離れた辺りで、休憩に入ることとした。私も休めて万々歳だ。こんなことばかり考えているが、何もイオンが心配でないわけではないとだけ補足しておこう。勿論イオンは大事だ。

 「、大丈夫だったか?」

 休憩ということで手ごろな場所に腰を下ろすと、ガイが私の隣に座ってこちらに問いかけた。そんな様子も爽やかだ。ちくしょう、何なんだこいつ、ルークと手柄を横取りしやがって、腹立つ!だけど誰より先に心配して話かけてくれるこいつが大好きだ!

 「私にかかればこのくらいなんてことはないけど?」
 「はは、そう強がるなよ。辛かったろ。ごめんな、早く来てやれなくて」
 「ガイ……、ありがとね」

 強がって言えば、ガイは頭を撫でてくれようとして、でもやっぱり出来なくて、手を引っ込めた。それは寂しいけれど、言葉はあまりに優しくて、私は自然微笑んだ。それを見たガイは「君がしおらしいと調子狂うな」と茶化したが、きっと元気付けようとしてくれてるのだろう。優しい使用人がいてくれて嬉しいよ。

 「なーにいちゃついてるんです?」
 「なんだ旦那、羨ましいのかい?」
 「へー、ジェイドでもやきもち焼くんだな」
 「お子様が何言ってるんですか。変なこと言わないでください」

 ガイとの時間を邪魔するようににこりと笑って割って入ってきたジェイドに、ガイがうまいこと返すと、ルークが天然で追い討ちをかけた。ジェイドは眼鏡のブリッジを押し上げると何でもないように言ったが、多分照れてるんだろうな。ふん、いつも人をいびり倒してるからそれが返ってきたのさ。

 「ティア、イオン、大丈夫?」

 そんな話を鼻で笑って、まるで聞いてなかったかのように2人のもとへ行く私は、至極当然だと思うよ。ユリア様に誓ってもね。だけど、半分くらいは、こんな仲間が居て嬉しいとも、思うよ。これは、誰にも言わないけどね。










す、凄まじい文字量で申し訳ない…

(060104)脱稿
(081102)加筆・修正