「よし、皆集まったわね」
 ハルヒは相も変わらず元気な声で、疲弊しきっている俺のことなど気にするはずもなく高らかに言い放った。今更だからどうということはないが、少しは人のことを気にしろと思いつつ集まった団員たちを見遣ると、案外俺のような顔をしている奴など居なかった。1人ずつ視線をずらしていきながら、運動不足かなと思った。
 ……思ったが、元気そうなその中に1人死にそうな顔をしている奴が目に入って、ぎょっとした。
 「じゃ、順番に結果報告よ」
 それを知ってか知らずかハルヒは話を進めていくのでそいつに声を掛けることも出来ないが、もし知っていてそうしたのだったらハルヒに一発拳骨を食らわすぐらい、俺はしてもいいね。そいつは古泉の後ろに隠れるようにして立って俯いていて、震えているようにも見えたからな。そうでなくても、そいつはどうしてか俺に心配をさせる性質であったから、とにかくさっさと報告を済ませた。無論、「何もなかったよ」とな。それに続いて古泉が「こちらもです」と言った。古泉は、それは本当なのか?と言いたくなる様な面をした奴を背中に隠して、見慣れた顔で微笑んでいた。こっちこそ拳骨を食らわすべきか?
 「ちょっとあんたたち本当にちゃんと探したの!」と憤慨するハルヒは、再び喫茶店にて次の計画を立てることを宣言し、足音も豊かに歩き出した。朝比奈さんと長門がそれに続いた。続行するなら続行するで構わないが、誰も死人のようなそいつに声を掛けずして喫茶店へ足を運ぶとは何事だろうか?それは、お前らなりの気の使い方なのか?
 ぶつくさ思いながら、俺は気になって仕方がないので、立ち止まったままの死人のような奴に声を掛けようとする。……掛けようとするが、予想外にも、その前に奴自身が俺の方へふらりと来た。同様にその場から動かずにそいつを隠していた古泉のデフォルトの笑みが、一瞬崩れた。瞬間俺は古泉と目が合ったが、すぐに逸らしてやった。古泉がどんな顔をしていたかだとか、そんなことよりも、目の前に亡霊の如しそいつが居たからだ。それでもその場から離れようとしない古泉を早く行けとばかりに顎で促すと、古泉は苦笑してハルヒの背中を追った。俺はそれを確認して、改めて目の前の奴に目を向ける。
 さて、古泉のガードが外れたそいつは、青白い顔をしてこう言った。
 「キョン、どうしよう」
 一体何がどうしようだって?
 ぽつりと落とされた掠れた言葉を耳で拾って、その情報のあまりの少なさにそう問い返しかけた。そいつは、―――は、顔色が悪いのは見れば解るが、なんだか今にも死んでしまいそうな顔をしていた。今、歩道橋から飛び降りると言われたって、練炭ってこの近くで売ってる?と尋ねられたって、何の疑問も浮かばないほどだ。おい、これは流石に不安だぞ。というわけで、
 「どうしたんだ」
 と問うてみる。大丈夫かと言いたかったが、それを求めてはいないのだろうと思ってやめた。そもそも、大丈夫か、なんて、こんな顔をしている奴に言う台詞じゃないであろうことは誰が考えてもそうだ。俺は気を抜いたらふっとこいつが倒れてしまうような気がして、思わずの肩に手を置いていた。何故こんな世話を焼いているのか、なんてことは疑問に思わなかった。大事だと思っていた。大事な友達だと思っていた。それで十分だ。
 「私、」
 が呟いた。小さすぎて、駅前の雑音にかき消されそうだったので、俺は彼女の口元へ耳を寄せた。それから、思考やら行動やら、そういった諸々を停止せざるを得ない状況に陥ってしまった。大事な友達だから、助けてやりたいと思った。でもやっぱり、正直これには耳を疑ったね。
 だって、そうだろ?
 「…………」
 目の前の青白い少女は、俺の耳がいかれてさえいなければ、
 「古泉が好き」
 そう言ったのだ。

 結局のところ、謎探しとかいう普通に考えて収穫のなさそうな集まりは、計画を立てるはずの喫茶店でお茶をして終息した。
 勿論、それを促したのは俺で、この見るに耐えない状態のを引き摺って行くわけにもいかないと思ったので、
 「どうしてよ!クジだってもう作ってあるのよ!」
 とかなんとか反駁するハルヒに、拳骨一発だとか言っていたがいざしようとすると恐ろしく、しかし流石に黙ってもいられないので、でこピン一発を食らわせておいた。しかし俺の拳骨云々など知ったこっちゃないので、勿論ハルヒはかんかんであった。なんにせよ、お前には教えてやりたいね。の様子無視作戦に、優しさが含まれていたのなら、そりゃ明らかに間違った優しさだって。どっちだかの判別なんて、超能力者でも未来人でも、ましてや宇宙人でもない俺には出来やしないがな。
 そういうわけで、地団太を踏みそうな勢いのハルヒと、それについていく朝比奈さんと長門が喫茶店を出るのを見送った俺は、氷が解けて薄くなった微妙な飲料を飲みつつ、俺、、古泉、というこれまたなんとも微妙なメンバーでここに座っている。
 「で、古泉。なんでお前はここに残ってるんだ?」
 さっさと帰れよという意味合いが、この言葉には惜しげもなく込められているのは、言うまでもない。の様子がおかしくなったのは、他でもない、古泉一樹とかいう優男の所為なのだからな。
 「さんを家までお送りしようかと思いまして。貴方こそ、どうしてですか?」
 古泉は鋭い色の台詞に似合わずにこやかだった。こいつは確実に古泉からの挑戦だってことが俺には解ってしまって、ああ、何だかもう、一体全体俺は何をどうすればいいんだ?尋ねてみても誰も答えてくれやしないだろうがな。隣には死にそうな友人しかいないのであるから。
 「奇遇だな。俺も送っていこうと思ってた」
 俺は意味もなく適当に対抗してみる。いや、意味ならあるか。こんな死にそうな奴を、死にそうにさせた奴と一緒に帰してしまっていいのだろうかと思ったからだな。当然、いいわけがない。古泉はこれに対して、珍しくも眼光を鋭くしやがった。おお、怖い。
 とまあ、そんなことよりも、そもそも彼女はなんであんなに真っ青になって自覚したことを俺に告げたんだろうか?
 「お前、古泉と一緒に帰れるのか?」
 考えてもわからんので、とりあえずに問いかけてみる。この縮こまっている少女は一体何をそんなに溜め込んでいるのだろうか?古泉が好きだと言っていたが、だったら普通に一緒に帰れば良いわけだし、喜べるはずでもあるし、そもそも死にそうな顔なんかするはずがないわけだ。俺にはこの青白い奴の乙女心がさっぱりだ。とりあえず、一般的な乙女心でないことは確かだ。少なくとも俺は、こういった例を見たことがない。
 「帰れますよね、さん」
 古泉は言った。有無を言わせないようなその尋ね方は、この精神不安定な奴に対して、お世辞にも適切とは言えないと思うがね。俺は古泉に「駄目な奴だな」と超小声で罵った。もちろんには聞こえないようにな。ただ、俺に対してものを言うのより、遥かに優しい口調で、何万倍も穏やかな顔であったことは否定できない。さすがに俺でも豹変ぶりに驚いたね。古泉がに惚れているのは、奴が風邪を引いて、ハルヒに命じられるがままに見舞いにいった時には解ってしまったが、そこまでが好きだったのか、古泉。馬鹿馬鹿しい。こんな真面目な奴が、古泉、お前なんかに釣り合うと思っているのか?こんなお人よしは、お前には勿体無いんじゃないか?
 そうこう思っていると、漸く、初めてが口を開いて、
 「…………うん」
 と言った。
 その答えに、古泉が、ほくそ笑んだような気がした。俺はめまいがするようだった。古泉は相変わらずの穏やかな顔を保っているので、それは気のせいに違いないのだが、そんな気がするのは払拭できなかった。なぜだろうな?そりゃ当然、真面目でお人よしの大事な友人を胡散臭い古泉にやるとどうなるかわからないと失礼ながら思っているからだ。ただ、古泉も大事な仲間であるからして、ややこしいことに、俺は何の抵抗も出来ず彼女を渡すしかないのだ。
 「では、月曜日に」
 喫茶店から出て、古泉が言った。鋭い目はなく、既にその整った顔にはデフォルトの笑みが乗っかっているだけだった。理解するのが追いつかないね。そんでもって俺はもう、こんな言葉を出されたからには、今日のところは帰るしかないだろう。もしも古泉がを誑かしたら、傷付けたら、ハルヒの時のようにでこピンなんかに留めず、ハルヒに出来なかった分も合わせて、迷わず古泉をぶん殴ってやろう。俺は元来そんな武闘派じゃないんだがな。
 「またね」
 小さく言ったが非常に健気に見えて同情を誘ったが、俺の判断はこれでよかったのだろう。変に突っ込んで、SOS団内がバラバラになったら最悪だからな。ただでさえご立腹のハルヒがどう世界をぶっ壊すか解らない。だから、良かったんだ、これで。
 古泉とが背中を向けて、並んで遠ざかり始めたのを見て、俺も帰るか、と踵を返す。情けないことに、大丈夫だ、と自分に言い聞かせながらな。俺は案外世話好きの心配性だと知って、溜息をつかずにいられなかった。まあ、とにかく、大丈夫だ、大丈夫。気にすることはない。
 だが、それでも、どうしても気になって、俺は1度だけ、振り返ってしまった。
 ―――そして、振り返らなければ良かった、と思った。
 「……おい、」
 ちょっと待てよ。
 俺は数十分前に自分の耳を疑ったばかりだが、自分の目さえ疑った。数秒間、目が離せなかった。嘘だろ、そんなの。思いながら、間抜けなことに、実際に「嘘だろ」と呟いていた。とにかく、信じられなかった。俺は大丈夫だと判断したし、それでよかったのだと結論付けたのだから。
 俺は何度だって言うつもりだが、俺の判断は、あれで正しかったはずだった。譲歩して、ごたごたが収まるように、当人同士の話に無理矢理割って入らずに、男の方の友情も尊重しつつ、悩める大事な友人を守ったつもりだった。
 それなのに、どうしてだろうな。
 「間違えたって、ことか?」
 十数メートル先の電柱の下で、古泉がを抱き締めていた。



―――Do you think that I am wrong?
2008/5/27 - 2008/5/28


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