世 界 す ら が 愚 か な 俺 を 見 捨 て る の に





それは俺の意思だった。真っ赤な髪を揺らす男を、俺の全てを奪った化け物を、俺のこの2本の手で殺すこと。復讐すること。悪いことじゃない、だってあいつは、俺の持っているもの全てを掻っ攫っていったのだから。今度はその逆が、起こるだけなんだ。

事を起こすであろう剣を眺めて、手入れが必要だと思えた。そうだ、俺は復讐するんだ、あの子供を殺すんだ、だから一気に通るような最高の切れ味にしなければ。一瞬で大事な大事な家族を殺されるのを、じっと見ていればいい。そして俺は、哀れな親と化した化け物に暫く何かしらの他愛ない言葉を投げ、ゆっくりと眺め終えたところで、奴を殺す。

月光に輝いた剣を持つと、何故だか手が震えた、俺は生唾を飲む。武者震いだ、これは。怖いわけじゃない。怖いわけじゃ、ないはずなんだ。


「怖いんでしょう」


背後からの声に驚いて、勢いよく振り返る。暗い部屋のドアの前、彼女は居た。俺は最大の企てに興奮して震えているのに、は異様に落ち着き払った声で言った。すっと高まった熱が冷めてゆく。

俺は怖いわけじゃない、怖いと思うはずがない。だって俺は、今までの恨みをぶつけるために、そうするだけであって、あの男は憎いだけなのだ。怖くなんかない、大丈夫だ、やれる。人殺しでも、何でも。


「ルークを殺すのが、怖いんでしょう」


え、と俺の喉から掠れた声が意に反して零れ出た。何を言っているんだ、。ルークを殺すのが、怖い。あの子供を殺すのが、怖い?そんなことがあるはずない。あいつも憎しみの対象で、今までだってずっと殺したがっていたはずだ。そのことを気付かれないように、気付かれないようにと、優しい優しいガイ・セシルをやってきたのだ。最も信頼できる位置に俺が座ったところで、俺の計画は初めて成功の一途を辿るのだ。一番親密な仲になったガイ・セシルに、裏切られるあの化け物の息子。最高の計画だ。俺の長い努力も、最高の茶番として俺の過去に残る。

「誰が怖いって?よしてくれ、もうすぐ俺はそれを実行するんだ」

余計なことを言って惑わせるんじゃない。揺らぐはずの無い頑なな筈の心を、そう簡単に動かすことは出来ないとしても。俺は知っている。の発する言葉には魔法がかかっていることを。いとも簡単に、俺の心を操作することを。

揺らがないはずの気持ちをもう一度確認して、一歩たりとも譲らない姿勢を心に決める。

「あんな子供ひとり、どうだっていいさ」

冷酷なことを。内心で嘲笑を浮かべ、刀身を研ぐ。あの男を苦しませるためには仕方が無い、その一言で捻り潰される小さな子供。ああ、なんて哀れな。可哀想な子。俺が抱いているのはただそれだけだ。嘲笑って、生き地獄を味わわせて、そうして無残に殺してやると。

「生意気に、いつから強がりを言えるようになったの、ガイ。怖いくせに」

怖いくせに。怖いくせに、怖いくせに。鼓膜からやってきた言葉が頭蓋骨で反響する。そうやって、俺を踏み止まらせようとしているのだろう。解っている、彼女がそうすることは最初から解っている。優しい優しい様は、そうして被害者を出さないように奮闘している。

俺は磨き上げられた刀身を月光に翳す。ここまでやれば、きっと切れ味も抜群だろう。子供を殺した後で、徐々に甚振るに相応しい。きっと計画は見事な成功を収める。

「本当は、ルークが好きなくせに。大好きなくせに」

好きなくせに。好きなくせに、好きなくせに。大好きな、くせに。再度脳内に響き渡って、何度も何度も、反芻するように。彼女は解っている。俺に解らせようとしている。

それでも歩みを止めてはならない。

「好きじゃない、大好きなもんか、嫌いだよ。憎いんだ」
「それでも」

吐き出した後にが言って、切る。内心訝るが表面には出さず、ただ刀身の手入れを続ける。震える手。上手く動かない指。憎いんだ。どいつもこいつも、憎いんだよ、嫌いだ、大嫌いだ。

「ルークは貴方のことが大好きだけれどね」

何も知らなかったルーク、歩き始めたルーク、部屋をぐちゃぐちゃに散らかしたルーク、教えを請うルーク、笑顔をくれたルーク。

咄嗟に思い出した。俺の大嫌いな、憎い憎いルーク。思い起こして、頬を緩ませそうになる。どうした、違うだろう。俺が殺したい、化け物の息子だろう。そんなのは幻だ、幻想だ、本当はそんなのじゃない、現実を見るんだ。化け物なんだ。

「私は止める」

唐突にが言った。理解するのには言葉が足りなくて、疑問符を頭に浮かべることしか出来なかった。が続ける。

「私は止めるよ。きっと傷付くのは、ガイだから」

眩暈がする。こうして彼女は俺に魔法をかける。どうしたって、これ以上進むことが出来ないように。彼女は俺の食い止め方を知っている。俺の操作方法を熟知している。もう進めない。これ以上足を踏み出せない。歩き出したら、いけない気がする。

何故俺はいつも、彼女に逆らえないのだろうか。全部嘘かもしれない。ルークを守るためか、あるいはただ被害者を出したくないだけか。丸っきりの嘘。真っ赤な嘘。でも、もしかしたら全部本当かもしれない。本心から、俺のためを思ってくれているのかもしれない。そうであったら良い、だなんて、虫のいいことを馬鹿な俺は思っている。

「……どうして余計なことをするんだ、

ぽつり、唇から零れ落ちる。どうして、どうして君はそんな余計なことを。放っておいてくれ、黙っていてくれれば俺は目的を達成できた、それでよかったのに。幸せだったのに。たとえ、傷付いても。

「私もガイが好きだから」

ルークと同じようにね。そう言って俺を抱き締める君は、一番憎い人間かもしれない。暖かくて優しくて、どうしようもなく愛しいんだ。どうして俺なんかに構うんだ、そう問うたら、大好きだからと彼女は言った。どうしたらいい、俺は本当の出来損ないだ。子供ひとり殺せなくて、解らなくなるほど彼女が愛しい。

暗闇の中で眼が合うと、彼女は微笑んでいた。優しい笑顔だった。どうして、どうしてなんだ。頼むから、放っておいてくれ。きっともう、見損なったって、見捨てていくのだろう。そして俺はその背を追えない。

「貴方はルークが大好きで、いつかきっとクリムゾンのことも受け止められる」

澄んだ声が耳の奥へと、脳へと伝わる。言い聞かせるように。けれどそれは洗脳するような不快なものではなかった。ただただ優しい、彼女の声だった。

「ガイなら、きっと出来る」

彼女はなんて、甘いのだろう。残忍な計画を企てていた俺を、抱き締められるなんて、こんなことを言えるなんて。ああ、、どうしてなんだ。どうしたらいい、俺は。どうしようもなく、愛しいんだ。

こんなことを考えているなんて、彼女が知ったらどう言うだろうか。一瞬口に出してみようかと思った。不安がなかった。彼女は、は、心から俺と話しているのだと、妙にそれが真実と思える。どこかで信じている。彼女は俺を見捨てていかないと。くだらない妄想でしかないであろうそれを、彼女は現実にしてくれるんじゃないかと。解っている。きっと彼女はそうしてくれる。

世界すらが、愚かな俺を見捨てるのに、彼女は俺を見捨てないで居るのだ。

ああ、俺は知っている。

「……愛してる、

「私は貴方より、ずっと」

声高に叫んだら、きっと彼女が助けてくれると。