何 も 見 え な い 聞 こ え な い





「お疲れ様です」
「気が利きますね」

コーヒーカップに一杯注いで、カーティス大佐のデスクに置いた。今日中の仕事が一段落したので、一服したら良いだろうといつものコーヒーを出してやると、大佐は快く受け取ってくれた。

私はこのジェイド・カーティス大佐の補佐をしている仕事柄、常日頃から彼を見ている。仕事は勿論しっかりこなすが、それだけの毎日ではなかった。例えば、大佐の観察をしたり、だとか。少し距離が離れていれば、全体を眺めて絵になるなあと思ったり、近くであれば、ああ睫毛が長いなあと見てみたり。それはある種ストーキングと同じようなにおいがするが、まあそんなことは知ったことではない。よくある乙女心と思ってくれれば良い。自らに乙女などという言葉を使うのには激しく抵抗があるが。

「明日は重役との会合もあるので早めに切り上げて頭を休めてくださいね」
「それは貴方も同じことでしょう。人の心配ばかりせず自分のことを考えなさい。まあ、如何に貴方が私を好いているかはよく解りましたよ」
「まさか」

私が忠告したというのに逆に叱られたので、素直に受け取れとかなんとか思ったりもしたが、そこは黙っておく。そういう人だ、この人は。私がどれだけ大佐を好いているかということについては、赤面したり怯んだりしては墓穴を掘るので、不敵に、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに返しておいた。大佐は苦笑して、砂糖のないコーヒーカップに口をつけた。

その後はくだらない世間話とか、そういう類の話題で談笑した。心のどこかに引っかかっている何かを飲み込んで、普通の会話を成立させるのに精を出す。ああ、どこかおかしい。一頻り話し終わったら、この時間を終わらせるために大佐が口を開いた。

「そろそろ失礼します。この後約束があるもので」

大佐はコーヒーカップをデスクに置いて席を立つ。私はいつものように観察を続ける。どんな動作でも無駄がなく、如何にも完璧という言葉が似合いそうな人。今はどことなく表情が緩んでいて、雰囲気が穏やかだった。そして、私はそれが何故だか知っている。心に引っかかる何かを再び飲み込んだ。

「問題になったら処理が大変ですから、上手くやってくださいね」
「貴方に言われなくとも解っていますよ、勿論」

大佐は穏やかに読めない笑みを浮かべて扉を潜った。その背中を引き止める術を私は持たない。あの優しい顔にさせる方法を私は知らない。私には、律儀にどうでもいいコーヒーなんか飲んでから去るというあの波立たない海のような広い心を作り出せはしない。

今日もお疲れ様でした、どうぞゆっくりお休みになってください。明日も仕事が山積みですからね。ああ、ああ、馬鹿みたい。同じことばかり繰り返して、先には一歩も進めない。

「ばーか」

こんなに気の利く女なんて、そうそう居ないのに。貴方はあの人を選んで、幸せそうな顔をするんだね。優しくて穏やかで温かいそういう顔で、私の知らない言葉をあの人に囁くんだね。ああ、解ってる解ってる。部下は所詮部下だってこと!

「……馬鹿」

隣があいても、きっと私はその席に座ることが出来ない。奪い取ることも出来ないし、空席になった寂しさと空しさを埋めてやることも出来ないだろう。私には何もすることがない。出来ることがない。他人のやる事成す事をぼうっと見ている仕方のない人間。こんな気持ちなど、不必要で邪魔でしょうがなくて無駄で、でも結局終わらない。

「……本当に、馬鹿だなあ」

ああ、好きっていうのは絶望なんだね。だからきっと何も知らない盲目の魚であるのが一番の幸せ。そうだ、私はそれを知っている。私はあの人のことなんか知らない、ただジェイド・カーティスを、好きだなと思って眺めておれば良いのだ。

本当のことなんて、見えなくていいの。




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20070514(ジェイドはヒロインの気持ちを知っているので「まさか」の場面で苦笑しました)